「やなせたかし…その生涯と作品について」

ラジオ深夜便(4月26日放送)
〔文字起こし〕
アナ)書店主で書評家のつじやまよしおさんに「本の国から」と題してお話を伺っていきます。
この春からスタートしました、朝の連続テレビ小説『あんぱん』に因みまして、やなせたかしさんの世界について、本を中心にお話をしてみたいという風に思います。
でその生涯と作品について、後はやなせさんに関する新刊がいくつか出ておりますので、その本のご紹介です。
でまずやなせたかしさんは、1919年高知県香美郡在所村に生まれました。でしかし、やなせさんが5歳のとき、お父さんが赴任先の中国で急死、小学2年生のとき、お母さんが再婚して、やなせさんも弟が養子になっていた、伯父夫婦の家に預けられたんですね。
やなせさんは、小さい頃から、紙とクレヨンを用意しておけば、何時間でも1人で遊んでいられる、といわれたぐらい、絵を描くことが好きな子どもでした。
学校卒業後に勤めた製薬会社では、宣伝部に配属になるんですが、時は戦争の時代ですので、やなせさんにも召集令状が届きまして、約4年間の軍隊生活を経験いたします。この軍隊での経験ですとか、あと、戦中と戦後で世の中の価値観というものががらりと変わったことなどを見るにつけて、やなせさんは本当の正義とは何なんだろう、という風に、後の作品にも繋がっていくテーマを深く考えるようになったんですね。
でまたこの戦争では、弟の千尋さんも22歳若さで戦死しまして、この弟の死という出来事もやなせさんのその後の人生に深く刻まれる出来事となりました。
で戦後やなせさんは高知新聞社に入社しまして、ここで後年妻となります、小松のぶさんと出会います。
でのぶさんが朝ドラの主人公の朝田のぶのモデルなんですけども、
アナ)朝ドラだとそこが実は子どもの頃から出会っているように描かれているけれども実際のところは、高知新聞で出会うんですね。
言うような話になりますね。
何年か、やなせさんは先に、実はのぶさんが東京に出てしまうんですけれども、それを追いかけるようにして、何年か会社勤めをした後、フリーの漫画家になりました。
でしかし漫画家といいましても、漫画だけでは生活が出来ずに、あの当時困ったときのやなせさん、といわれていたぐらい、何の仕事でも引き受けていたんですね。
やなせさんの自叙伝に『アンパンマンの遺書』という本があるんですけども、その中に売り込みもしないのに、突然やったこともない仕事を依頼されて面食らうことが多い、ですとか、よくもまあ僕なんかに頼むものだ、いう風に書かれているんですけども、やなせさんは、この頃は芸能人へのインタビューですとか、あとテレビ番組の構成、『手のひらを太陽に』なんかが有名ですけども、歌の作詞など多彩な仕事を行っています。
しかしその頃も、やなせさんは40歳を過ぎていましたし、忙しくはしていても、好きな漫画で食べてるわけでもない。自分のほんとうの核は何なんだろう、という風に未だ悩んでいたと思います。
でそういう風に、遅咲きだったやなせさんなんですけれども、この頃からようやく、生涯の柱となります、二つの仕事、絵本の仕事とあと詩の仕事ですね。
こちらは徐々に舞い込んできます。
まずは、絵本の仕事で言いますと、やなせさんの初期の代表作に『やさしいライオン』という今でも読み継がれている作品があります。
みなしごライオンぶるぶると、後そのお母さん代わりであります、あのすごく小っさいのですけれども、犬のむくむく、むくむくの優しい子守歌を聴きまして、ぶるぶるはりっぱなライオンに育っていくんですけども、ある日お別れのときがやってきて、というようなお話です。
アナ)この絵本は私は最後まで声に出して読めないんですよ。途中で泣いてしまう。今日もスタジオにお持ちいただいていますけれども、この26ページになるとですね必ず泣くという、今見てもちょっと涙が出そうなんですけれども。
ほんと絵が叙情的というか、涙を誘うようなあの絵なんですけども、動物のライオンと犬という種を超えた親子の愛情というものがテーマになっている本かないう風に思うんですけれども、あのこの絵本にも早くに実のお父さんとお母さんの別れを経験しました、やなせさんの複雑な思いというものも投影されているのかも知れません。
でとにかくお母さんのそばにいたいんだというような、ぶるぶるの気持ちがなんのてらいもなく素直に描かれおりまして、そのことがほんとうに胸を打つような本です。
でその数年後の1973年に、キンダーおはなしえほん、というシリーズがあったんですが、その10月号としまして絵本あんぱんまんが発表されました。
であんぱんまんは今カタカナ表記でアンパンマンと書きますが、このときはまだひらがなであんぱんまんと書きます。
で今より少しほっそりとしています。そういうフォルムでして、マントもつぎはぎだらけ、あと自分の顔を食べさせることで、飢えた人を救うようなお話なんですけれども、当時は自分の顔を食べさせるなんて残酷ではないのか、ていう風に編集部内では、実はとても評判が悪くてですね、やなせさん、こんな本はこれ一冊にしてくださいね、という風に釘を刺されしまったそうなんです。
子どもたちの間ではじわじわ人気が出まして、幼稚園なんかに行きますと、アンパンマンだけがほんとうにボロボロになってよく読まれていたような話もあって、のちの大ヒットに繋がっていきます。
でやなせさんは、それまでのヒーローものといいますか、ヒーロー像に違和感を抱いておりまして、格闘しても着ている物は全然汚れないですし、戦いで町が破壊されても、ヒーローはそのことを気にするそぶりがないと、で絵本あんぱんまんの後書きには、本当の正義とは決して格好の良いものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくものです。
という風に書かれているんですけれども、それは寂しかった幼少期ですとか、あと戦争に従軍しまして、そこで感じた深い違和感など、それまでの人生のすべてがアンパンマンという作品に結実したようなものだと思います。
でこの絵本あんぱんまんが出ました1973年には、やなせさんの仕事のもう一つの柱ともいえます雑誌、『詩とメルヘン』が創刊されています。
これは、人気キャラクターを展開する会社がかつて自社に持っていた出版部門から出した雑誌なんですけども、プロアマ問わず詩を選出しまして、プロのイラストレーターによる絵が添えられるという絵本形式の詩集なんですね。
たぶん売れないけど編集費はただでいいからやらせて欲しい、ていう風にやなせさんの方から、社長の方に直談判しまして出版に漕ぎ着けました。
で『詩とメルヘン』という雑誌では詩も絵も叙情性があって、やなせさんの絵本といっしょですけれども、美しいもの、後はわかりやすいものというものを主に載せていました。
現代詩の世界ですと目新しいものですとか、あと難解な言葉っていうものがわりともてはやされる傾向にあるんですけれども、そうした詩の世界に対する、やなせさんなりの回答だったのかなとこの雑誌を読むと思います。
でこうしたやなせさんの評伝を、最近、ノンフィクション作家の梯久美子さんが『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』というタイトルで一冊の本としてまとめられています。
実はその梯さんは先ほど言いました、『詩とメルヘン』編集者として勤めていた時期がありましてやなせさんが語った天才であるよりいい人である方がずっといい、という言葉が忘れられないといいます。
で素晴らしい作品を世に出すよりも身近な人に親身に接しまして、与えられた命を誠実に生きる方が大切だ、ていう風にやなせさんは考えていたと梯さんは言います。
で他にやなせさんの詩に触れてみたいという方には、やなせたかし詩集『手のひらを太陽に』ていうベスト版の詩集のような詩集も最近発売になってますので、気になる方はこちら手に取ってみるといいと思います。
で今ですと愛とかやさしさとかいいますと、そんなのは綺麗事でしょうという風に一蹴されてしまうと思うんですけれども、やなせさんのお仕事を見ておりますと、いやその綺麗事の中にこそ本当があるんだ、ていう風に全力で語っているような気がするんですね。
なので、ぜひそういった視点からも改めて読んでいただければ、という風に思います。